僕が観た夢 彼女が観た景色

オレンジランプが書き綴る不定期連載のオリジナル小説です。

僕が見た夢 彼女が観た景色 2

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第一章 日常

 

登場人物

 

栫優一 (カコイユウイチ)会社員 26歳 生まれ育った街を遠く離れて奔走する青年。

木島久美子 (キジマクミコ)会社員 27歳 優一の恋人

 

 

スマホに届いたメールを嫌な気分で開けてみると、差出人はいつも僕にダメ出しを行う上司の尾山課長だったけど、そのメールの内容は総務部からの転送だった。

 

健康診断受診のお願い。 

 

メールの冒頭に書いてあるこの文字を見ただけで、僕は総務部の皆さんに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 

忘れてたからだ。

 

毎年、6月中までに会社の健康診断を指定の病院で行って、その検査結果を総務に提出すると言うのが全社員の義務だった。本社にいた時は、この日は健康診断の日という事で病院側から医師と看護師が出向いて来てくれて、色んな検査をやってくれていた。

 

でも、今は・・・。

 

単身で本社から遠く離れた場所で、一人業務を行う僕の為にわざわざ出向いてくれる病院なんて無かった。だから、いつもの健康診断の時期よりも早めに本社の総務部の方から手配された病院で健康診断を受診する手筈だった。

 

だった・・・。

 

総務部から手配された日は、忙しいも忙しい日で、とてもじゃないけど火の車の様な、この現場を離れて自分だけ『健康診断に行ってきます。』という訳にはいかなった。

 

その内行こう。その内行こう。

 

は、行かなかった。

 

いや、行けなかったのだ。

 

自分で近所の病院に健康診断の手配をしようと思っていたど、会社が指定する検査が出来る設備が整ってない病院だったり、整っている病院は流石に人気で、僕が行きたい日程での検査の空きは無かった。

 

そして、今日に至った。

 

総務部のお決まり文句の様なメールの後に、尾山課長が打った文言が足されていた。

 

『お前のせいでみんなが迷惑している。怒られるのはいつも俺なんだから、いい加減にしろ。すぐに健康診断を受けて結果を本社宛に郵送しろ。お前のせいで当課のみんなが迷惑している。』

 

はぁ~。

 

僕は大きなため息をついた。いい加減にして欲しいのはこっちの方だ。確かに健康診断を受けていないのは僕だけど原因はこの忙しさだ。

僕がどれだけ改善の要望を出しても予算がない、人が居ないって取り合わないくせに・・・。

 

こっちの言い分も聞いてくれよな。

 

はぁ~。

 

溜息は止まらない。

 

会社が下請け会社の為にと建てたプレハブの現場事務所の中で一人天井を見上げた。

壁に掛けてある時計に目をやると20時を過ぎていた。現場で汗を流しながら頑張ってくれていた作業員達は誰も残っていない。

 

当然だろうけど、最近は残業なんかも無く定時の17時でみんな帰って行く。

 

ここに残っているのは、いつも僕一人だ。

 

現場が回らなくて怒られるのも僕。

 

現場が上手くいけば、みんなのお陰。

 

こんな生活がもうすぐ1年。

 

やってらんないな。

 

僕より楽をしている上司や新入社員の癖に頑張ろうという心意気を持ってない人間も沢山見て来た。

 

昔から損な役回りは、いつも僕の役目。

 

小学生の時もクラスで何かがあれば疑いを掛けられて、大学の時も事あるごとに僕が悪者にされた。

 

『何でこうなんだろう。』誰もいないプレハブ小屋に声が響いた。

 

はぁ~。

 

また、ひとつ。

 

ここで、ため息をついても何も始まらない。帰ろう。僕は手早く荷物をまとめると、エアコンを消して電気を消して、現場事務所のガラスドアの鍵を閉めた。

 

その瞬間、電話機のランプが点灯して呼び出し音が鳴り響いた。

 

もう気にしない。

 

僕は帰ると決めたんだ。誰がこんな時間から仕事を受ける?と言うか誰がこんな時間に電話かけて来るんだ・・・。普通居ないよこんな時間に・・・。

 

僕は、電話の音も明日の朝にこの電話が原因で怒られる事になるかもしれないという思いを振り切って帰宅の路についた。

 

タブレットと財布とスマホが入ったバックを肩から掛けて歩道を歩く。ここから、住まいのアパートまでは徒歩で15分ほど。帰り道に弁当屋で弁当を買って一人食べる。これがこの後のいつもの日課。

 

現場事務所とアパートの中間にある弁当屋に着く。

 

『いらっしゃい。』いつものおばちゃんが出迎えてくれる。

 

僕は考えるふりをしながら『唐揚げ弁当』と注文をする。毎日同じメニューを注文している。唐揚げが大好きと言う訳でも無いけど、不味くもない。ここに通いだして最初の頃は色んな物を選んだりしたけど、失敗もあった。疲れて帰ってハズレた弁当を食べる時の絶望感ったらなかった。

 

その予防策の為にも毎回これを選ぶようになった。

 

毎回同じものを選ぶ理由はこれだけじゃなくて、ただ、毎回選ぶのも面倒になったという事も大きな理由の一つかもしれない。

 

毎日毎日孤独な闘いの中での何を食べるか?とか言うつまらない事で頭を使いたくなど無かった。

 

『お待ちどうさま。540円ね。』おばちゃんは元気に言う。

 

僕はあらかじめ用意しておいたお金をおばちゃんに渡した。この時、丁度渡さないと、おばちゃんのびしょびしょに濡れた手に握られたおつりを返されることになる。

これもいつも同じものを選ぶ理由の一つだった。

 

『いつも遅くまで大変ね。唐揚げと味噌汁サービスしといたから頑張ってね。』おばちゃんはいつも通りに屈託のない笑顔でお弁当を僕に渡してくれた。

 

『いつもありがとうございます。』僕がかえす。

 

『こっちの人間じゃないのに頑張らせて悪いね。私たちもお兄さん応援しているから頑張ってよ!』そう言って奥の厨房のおばちゃん達にも同意を求める。

 

『こちらこそありがとうございます。』僕は少し照れながらお礼を言った。おばちゃん達に頭を下げてお店を出た。

 

よくよく考えたら、今日初めての会話と言う会話だったのかもしれない。

 

家に着いて荷物を置いて、さっき買った唐揚げ弁当を食べ始める。通常4個入りの唐揚げが6個入っている。おまけに味噌汁までサービスしてくれた。

 

ありがたい。

 

本当にありがたい話だ。顔なじみってちょっと気恥ずかしいけれど、僕の存在を認めてくれる存在がありがたかった。本音を言えば味噌汁は合わせ味噌じゃなくて、幼い頃から食べ慣れた赤味噌が良いんだけどなとか思ったりしながら、夕食をかき込んだ。

 

孤独な夕食が終わると間髪入れずにスマホの着信音が鳴り響いた。

 

画面をのぞくと今度こそ久美子からだった。僕は時計に目をやりながら電話に出た。

 

『もしもし、優君。なにしてるの?』電話に出たとたん久美子の声が走る。

 

『ん、今ご飯食べてたところ』僕が答える。

 

『遅いねぁ~。相変わらず。ちゃんと野菜も食べないとだめだよ。』久美子がまるで母親のような口調で言う。

 

『分かってるよ。そんなこと言わなくたって。』実際野菜なんて唐揚げ弁当の付け合わせに申し訳程度についているキャベツしか食べてないので少し声を荒げてしまった。

 

『なに、その言い方。せっかく声が訊きたいかなと思って電話してあげたのに。もういいよ。』久美子が不機嫌に言った。

 

『そんなつもりじゃないけど、怒んなくてもいいじゃん。』僕がそう言うと。スマホの画面には通話終了の文字が・・・。

 

どうやら久美子が電話を切ったらしい。

 

勝手にしろ!

 

僕はイラっとしてスマホを投げつけたい衝動にかられた。でも、壊れるのは嫌なのでベッドの上に投げつけた。

 

『こんなんばっかりだ。』

 

前はこんなんじゃなかったのに。

 

僕の転勤と言うか長期出張が僕と久美子の距離をどんどん話していく。二人の体の距離と心の距離が日増しに離れてしまって行っている。

 

帰りたいのか?

 

彼女の元に。

 

正直、自信がなかった。今すぐ久美子のところに帰ったとしても以前のように戻れる気がしない。遠距離恋愛というものがこんなにお互いの気持ちを離れ離れにしていくのかと悲しくなった。

 

僕はさっぱりするためにさっとシャワーを浴びて、髪もまだ乾かぬままにベッドに横たわった。

 

はぁ~。

 

また、ひとつ。

 

『おやすみさない』

 

僕は誰もいない部屋で誰の耳にも入る事のないお休みの挨拶をした。そして、ゆっくりと目を閉じた。

 

もうこれ以上、今日はため息をつきたくなかった。

 

僕は今日と言う日に別れを告げた。

 

 

 

その3につづく。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。